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2024.12.12

【今倉山北尾根で猿焼山へ…】 山バス情報207

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(今倉山への登り…やはり南面の美林は葉が落ちても美しい)

 

【山行日】 2024年12月07日(土)

【使用公共交通機関の詳細】

「鉄道」
中央線某駅 - 07:48 大月 (JR中央線各駅停車)
大月 07:55 - 08:10 都留市 (富士急行線各駅停車)

「バス」
都留市駅 08:15 - 08:45 道坂隧道 (富士急バス 740円)

「歩行」
道坂隧道バス停 08:55 - 10:07 御座入山(今倉山西峰)
御座入山    10:15 - 11:25 パラジマノ頭
パラジマノ頭  11:50 - 12:25 エビラ沢の頭
エビラ沢ノ頭  12:35 - 13:35 猿焼山
猿焼山     13:45 - 14:40 芭蕉月待ちの湯

「温泉」
芭蕉月待ちの湯 14:40 - 15:40 (市外大人720円)

「バス」
芭蕉月待ちの湯 15:54 - 16:16 都留文科大学駅前 (富士急バス 200円)

「鉄道」
都留文科大学 16:40 - 17:03 大月 (富士急行線各駅停車)
大月     17:06 - 17:43 高尾 (JR中央線各駅停車 遅延)
高尾     17:46 - 中央線某駅  (JR中央線快速東京行き 遅延)

【地形図】 「都留」

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(猿焼山への道すがら…名残のような紅葉もこの程度)


 鶴峠行きの富士急バスは11月いっぱいで終了、しかし、道坂隧道行きのバスは12月15日まで走行してくれる、ということで、ようやく寒気も降りてきて冬らしくなってきたし、利用者も少なくなっただろうと予想して、以前から行きたいと思っていた猿焼山へ今倉山の北尾根を松浦本『静かなる尾根歩き』の逆走をしてたどって行ってみようと思いつきました。

 ただ、猿焼山から曽雌に降りても遠い昔に廃止になったバスもないことですし、タクシーを呼ぶ気にもなりません(デマンド乗り合いタクシーがありますが、壬生駅行きは13:30)。しかし、近年のエアリア(山と高原地図)には猿焼山から芭蕉月待ちの湯に降りるルートが「赤実線!」で入っていて、一時間ほどで降りられるとの由。実行に移すべく朝一番の道坂隧道行きのバス乗り場がある都留市駅へ。。。

 ところが、すでに富士急行線の車内で道坂隧道行きのバスについて話しているパーティーの声を耳にして、こんな寒くなってから乗る人たちもいるんだなどと、暢気なことを考えていたら、バス停には結構な数のハイカーが列をなしていて、結果的に席は全て埋まってしまいました。

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(道坂トンネル…マイカー登山者も結構多いです)

 細野で降りたのは一人だけ。残りは全員、峠の下の終点まで乗り倒しです(笑)。そして結構若い人たちが多い。。。年寄りの私は今倉山の山頂の先で変な斜面を降りていくのを見られたくなかった(笑)ため、トイレの列の最後に並んで用を足してからゆっくりと登っていきます。

 峠に出て今倉山に向かう途中で、立ち止まっていた若い二人を抜いてみたものの、その後結局先に行ってもらうことになってしまい、彼らとの差は開くばかり(笑)。時折振り返って見る御正体山の上に頭を出している富士山も、今日は早くも雲のマフラーをまとっていて、休む口実も作れないまま、ノロノロと登っていきます。ただ、稜線はずっときれいな雑木が続き、明るい尾根歩きでした。

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(若い人にどんどん引き離される(笑))

 

 三角点のある今倉山東峰山頂到着はほぼ一時間後の09:55。しかし誰もいません。軽く一息ついただけで皆さん先に進んでしまったのでしょうか。誰もいないならここで一休みしようかとも考えたのですが、変なところを降りるのはこの先の西峰なので、とりあえず、そこまで休憩はお預けにして西へ続く道志主稜を進みます。

 西峰(「御座入山」と指導標にマジック書きされています)に着いても誰もいません。速い人たちばかりだなぁ…と呟いたのですが、実際は自分が年寄りでのろくなっただけかも…と思い直しながら、西峰で一息入れることに。。。テルモスのお茶とサンドイッチの残りで休憩を取ったら、誰もいないことを確認して尾根下りの開始です。

 松浦本では、西峰の20m西寄りに登り着いたということでしたが、あたりをよく見てもマーキングなどは一切ありませんでした。西にだいぶ進んでみたものの1383の北に伸びる西沢と東沢の間の尾根が見えてきてしまい、引き返して20mというとこの辺りかなと見当をつけて斜面を下っていきました。
 踏み跡らしいものもなくズルズルの落ち葉の斜面を慎重に下っていくと、ようやく尾根らしい地形になってきたところで右手の方にピンクテープを見つけ、足元もだいぶしっかりしたものとなって磁北方向に歩を進めます。

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(この小屋を見たら、すぐ先の尾根の分岐に注意です)

 

 ピンクテープを良い目印にして進んでいくと松浦本の写真にもあった古い造林小屋を目にしてまもなくで、地図読みが必要な尾根の分岐になります(1246m地点「西ヶ原の台」)。ここから1076m峰(パラジマノ頭)へ向かうには、道なりの前方尾根ではなく右下(北東)へ下っていく尾根を選ばないといけません。前方の尾根にはこんもりとした盛り上がりがあり、それがパラジマノ頭に見えるかもしれませんが、これは北北西に伸びる尾根の1210m圏峰です。パラジマノ頭があれほど近くに見えるはずがないということも重要な判断材料です。

 自信を持って、北東に伸びる尾根を進んでいくと、急傾斜になったあと北寄りに向きを変え、再度北東(右)へ降りるようにピンクテープが指示してくれますが、この地点から鞍部にある舗装道が見えて唖然としました。地形図「都留」は比較的新しい平成27年のものですが、それにも描かれていませんし、地図ロイドにもありません。何かの間違いか自分のミストレースかと山旅ロガーを起動してみましたが、現在地は間違っておらず、ここを北東に下って舗装道を横切って、パラジマノ頭へ行くしかありません。

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(こんなの聞いてないよ〜といいながら向かいの尾根へ…)

 

 この舗装された林道は一体どこからどこにつながっているのだろう?と思いながら(後日この記事を書きながら21年のエアリアを見ていたら、なるほどこれか!とわかりました:『新バリエーションハイキング』によれば「菅野盛里線」)真新しい舗装道を横切って対面の尾根に取り付き直し、右側が切れ落ちてこわいよ〜と呟きながら、登り着いたところが1076m峰のパラジマノ頭。

 時刻は11時半前。このあとに控えている急斜面の下りと、そのあとの急斜面の登り返しは、地形図で見てもとんでもない傾斜角とわかっていましたので、この寂峰でお湯を沸かしてお茶を煎れ、お昼ご飯にしました。

 静かなひだまりハイクの楽しいひととき、といきたかったのですが、なんだか自分の食事に申し合わせたみたいに(笑)黒っぽい厚い雲が上空に現れて、陽射しが遮られたうえ、冷たい風が強くなってきて、意地の悪い天気だなぁ…と思わず呟いてしまいました。

 大休止を終えて、再び北へと歩き始めると、とたんに雲が切れて陽射しが出てきてくれ(笑)、風も収まりつつあります。この先にある急下りはこの日一番の傾斜角度で、トラロープなどもあり、これを助けにしたいところでしたが、よく見るとロープを支える木はとても細くて脆いもので、根元から折れていて、掴まる方が危険かもしれません。

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(もっとしっかりしたところに固定しないと…(苦笑))

 

 急下りが収まると、静かな落ち葉径の尾根歩きとなりますが、前方にはエビラ沢の頭と思しき山がデンとそびえていて、これがまた登ってみれば、やはりこの日一番の急な傾斜の登り。巻き道のようなものもなく登るしかありません(笑)。落ち葉で踏ん張りも効かず、落石も起こしながら、息を整えては登りの繰り返しで、ヘロヘロになって到着したエビラ沢の頭。そこにはこの地域でよく見かけるなんとも無責任な「←登山道→」の標識にマジック書きで「エビラ沢の頭」と追記されていました。

 おい、これはないんじゃないかい?と思わず呟いてしまいました。私製の道しるべや標識と違って、この「←登山道→」標識は、おそらく行政側の人間が設置(依頼?)したのではと私は勝手に推測していますが、ここ(エビラ沢の頭)にこの標識を掲げておきながら、パラジマの頭にも猿焼山にもこれと同じ標識はないわけですし、パラジマノ頭からここまでの(そして実際にはこの先も)整備されてはいない、かつ指導標ゼロの尾根を「登山道」と呼ぶのは無理がありすぎると思います。

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 ともあれ、標高差百メートル&体感60度以上(?)急斜面を登り切り、パラジマノ頭から半時間あまりしか経過していませんが、テルモスのお茶とボンタンアメで一息つくことにしました。

 エビラ沢の頭からは進行方向をほぼ90度西に変えたあと、再び北に尾根が曲がっていきます。その間は平坦な尾根歩きですが、問題はその先です。松浦本では登りに取っているため「手を駆使せざるを得ない急登」ということで、また先程のような地獄覗きみたいな角度の傾斜を降りていくわけで、トラロープもなく、木の根やしっかりした岩に掴まりながら向き直って下っていきます。「登山道ではありませんよ、これは」とまたブツブツいいながら慎重に下り切ると、遠くに猿焼山と思われる三角形が見えてきます。

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(猿焼山が見えてきました…)

 やがて810m付近で右手に伸びる尾根に引き込まれないように注意して左の尾根を選ぶ地点が少し迷うところですが、地形図を見れば左と判断できますし、踏み跡もしっかりしてきます。

 猿焼山は松浦本では東峰と西峰があると書かれていて、昔の本にもそのように書かれているものがありますが、現在は東の三角点のない方を猿焼山として、三角点のある西峰はエアリアでもそうなっているように、城ケ丸と呼ばれているようで、現地の私製の標識もそのようになっています。

 まず猿焼山と思われる右手の高みに直登します。結構な傾斜でしたが、なんとか登りきって、時刻を見るとエビラ沢の頭からちょうど一時間ほど経過していたので、猿焼山でテルモスのお茶で再び休憩を取ることにします。

 猿焼山の山頂には標石(三角点ではありません)の脇に猿焼山の板切れの標識が置かれているだけで、指導標も何もありません。ここからは10年ぐらい前のエアリアでも赤実線というのに、進むべき西の尾根にピンクテープが見えるだけです。これってもしかして…という嫌な予感は残念ながら的中してしまいました。

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(トラロープもない、結構急な下りもあります)

 結論から言うと、この先は西に向かう尾根を711の手前の730m付近までたどって左手の南下する小尾根に入り込み、急に右手(西)に尾根を外れて、新しい1/25000地形図「都留」には描かれている(古い地形図には影も形もありません)破線ルートを降りていくのですが、尾根から外れる地点までは、指導標がないどころか、マーキングさえも統一されていない種類のものが混在していて、倒木も多いため、初めてここを降りるハイカーはかなり不安になると思います。とても一般登山道とは言えず、私に言わせたら「思いっきりバリハイルート」です(苦笑)。

 しかもその尾根から外れる地点にある私製の道しるべ「戸沢・登山口へ→」は小さくて、右手の非常にわかりにくいところにつけられていて、私も危うく見逃すところでした。お手製の道しるべのあとも、倒木があるうえ、この季節は特に踏み跡が落ち葉に埋もれていることもあり不明瞭。「こんなとこ、赤実線はまずいよ」という印象しか残りませんでした。

 そして極めつけは、最後に林道と交差する地点に設えられた、例の「←登山道」の標識。最後の最後までやってくれるじゃないの…という感じでした。

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 ま、いいか、大して迷うこともなく無事降りてこられたんだもの…。それに、あの標識だって、悪気があって立てたわけではないのでしょう。登山道として使って歩いてくれても結構ですよ、ぐらいの意味なのかもしれない。。。バスの時刻は記憶では14時台は早めの時刻で、15時台はほとんど16時に近い時間だったよなぁ、と確かめてみたら、やはり30分ほど前に行ったばかり。ゆっくり芭蕉月待の湯で暖まって時間をつぶせばいいだけ、というのはこの時期本当にありがたいです。

 芭蕉月待ちの湯 は都留市の市民とかJAFの割引とかは本当に安いけれど、市外一般大人でも720円というのは、私にも手ごろなお値段でうれしいです。しかも時間制限もなしで、持ち込みも可ですから、貧乏ハイカーにとってはありがたいことこの上ありません。

 お湯はあまりぬるつきもなく無臭で透明。でも、カルキ臭さなどもなく、ごく普通の温泉といったところでしょうか。土曜でしたが、入浴客はそれほど多くなく、湯船にのんびり浸かって、疲れをほぐしました。

 15時半前に上がって、ビールでも、と食堂兼休憩所に行ってみると、食堂はまだ営業していない旨の表示。持ち込み可ということも分かったので、座敷のテーブルで、ザックに忍ばせてあった(笑)パックの日本酒をストローでちびりちびり。。。お湯とお酒で程よく体が温まったところで、バス停へ。

 バス停では最後尾に並んだものの、運よく最後のひとつの席に着席でき、右回りのため、都留文科大学駅前で下車。駅の時刻を見に行くと大月行は20分後。駅前のスーパーでヱビスの黒と笹一のワンカップをゲットしてから駅の待合室へ。

 富士急行線も外国人観光客の隣に座れて、大月駅では3分の乗り継ぎで高尾行きへ乗り換え。この時も30分後に発車する快速東京行きが12両だったのですが、たくさんいる外国人たちの口々から「グリンカー」という言葉が聞こえたので、見送りました。

 外国人たちの判断のおかげで、空いた6両編成の高尾行きに座り、笹一のお酒をちびりちびりとやりながら帰途に就いたのでした。

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2024.12.01

【二十六年ぶりに倉岳山を訪れる】 山バス情報206

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(倉岳山への登りで…この日一番の紅葉)

 

【山行日】 2024年11月24日(日)

【使用公共交通機関の詳細】

「鉄道」
中央線某駅    - 07:56 高尾 (JR中央線各駅停車)
高尾    08:09 - 08:26 上野原(JR中央線各駅停車)

「バス」
上野原駅 08:43 - 09:28 無生野 (富士急バス 1030円)

「歩行」
無生野バス停 09:40 - 10:30 最初のモミジ (680mぐらい?)
モミジ    10:40 - 11:25 倉岳山
倉岳山    11:50 - 12:40 644ピーク
644m   12:45 - 14:15 鳥沢駅

「鉄道」
鳥沢 14:22 - 14:51 高尾 (JR中央線各駅停車)
高尾 14:53 - 中央線某駅  (JR中央特快東京行)

【地形図】 「大室山」 「上野原」

 

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(ヘソ水の先、北西尾根の美林は色づきがいまひとつ…)

 

 倉岳山に登ったのは、山を始めたばかりの前世紀のこと。鳥沢駅から穴路峠を経て山頂に着き、帰りは立野峠から梁川駅へという、ガイドブック掲載の一般登山道でした。倉岳山自体好い印象だったのですが、中央線から何時でも行ける…と長いこと再訪しないまま年月だけが経過していました。

 今回採ったコースは、いずれもバリエーションルート。登路は藤ノ田沢左岸尾根で前道志稜線に立ち、倉岳山の山頂を踏んだら、北西尾根を降り、南北を縦断するようなかたちで歩くというものです。倉岳山にいくつもあるバリハイルートからこの二本を選んだのは、そのいずれもが、松浦本で雑木の美しい尾根という記述があったためと、なにより無生野行きのバス存続のためにもこのバスを久々に乗り倒したい(笑)と思ったからです。

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(12月になると帰りの午後便はありませんので要注意! 平日は朝の便もなくなります)

 

 無生野行バスに乗るには、もう一本あとの六両編成(豊田始発の大月行き)でも間に合うのですが、まだシーズン中ということで、念のために一本前の高尾発の六両編成で上野原に到着。バス乗客は地元の方二名と登山者三名の五人だけ。お二人はどこで降りてどこに登るのかな~なんて考えていたら、登山者は三人とも無生野で下車。

 変なところを進む予定(笑)の私は、二人に先に行ってもらいたくて、入念に柔軟などしていたのですが、一服つけて座っていて、しばらく動きそうにない様子。。。仕方なく先に出発し、停留所から30mほど先の道を上がって行こうとしたら、今度は民家の方に「そっちは道ないよ」と言われ、「昔の峠道を辿ってみたいのですが」、と答えて通らせてもらいました。民家の方は「昔は道があったけど難しいよ」と言っていましたので最初の取りつきは間違っていないと確信。

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(民家の人に「道はないよ」と呼び止められた…)

実際は昔の峠道(地形図の破線)をたどるのではないのですが、地元の民家の方が言うとおりで、その先の取り付きは難しかったです。マーキングのたぐいは一切なく、松浦本のコピーを読んでも、土蔵の裏とか2つの石祠は見つからず、獣除けの扉を開閉して藤野田沢沿いを遡行する形で踏み跡を拾っていくと、堰堤が見えてきてしまったので引き返し…などいきつ戻りつ。。。
 
 結局、フジノタ沢を渡り返したところで、右上に見える尾根に向かって戻るように山道とはとても言えないあやふやな踏み跡をたどると、尾根の末端の580m地点に到達。後方(南)には踏み跡というか、こちらも獣除けの扉があって、尾根の方向も北へ向かっているため間違いないと判断。念の為「山旅ロガー」で現在地を確認、右往左往しましたが、取り付きに成功しました。

尾根末端からは尾根を北へとひたすら直登していきます。スタートで躓いたせいで歩き始めから小一時間で700mに届きませんでしたが、左手から「昔の峠道かも…」という感じの踏み跡が上がってきてまもなく、ちょうど植林が途切れ、きれいなモミジを目にしたところで、テルモスのお茶で休憩としました。

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(あとからみても、この休憩地点の紅葉がフジノタ沢左岸尾根で一番キレイだったかも…)

 

 一息入れたあとは、雑木の美しい尾根を登っていきます。紅葉は、南面だけあって、陽の光を受け、はっとするような美しいところもあるのですが、すでに葉を落としている樹が結構多いかと思えば、明らかにカエデ系の樹木であるにも関わらず、緑色のままのものもあったりで、これが平年並みの夏の暑さのあとに、しっかり冷え込んでくれた日には、いかばかりか…と想像をたくましくするばかりでした。

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(736へ向かう途中…)

 736に向かって右にクイッと曲がったあとに、一旦下って登り返す辺りは、地形図どおりで照合するまでもなく、尾根歩きの楽しいところ。。。その後の急登も静かな雑木の尾根ということで、あまり苦もなく880m圏峰に到達できました。かろうじてここに、本当に小さなピンクテープがあるだけで、ここまでは(すべて剥がされたかのように)マーキングのたぐいは一切ありませんでした。

 一般登山道に出ると、人の声も聞こえてきて、久しぶりに山中で人と挨拶を交わすことになりますが、これもまた山歩きの楽しさであると感じます。900m圏峰を越えたあとの倉岳山山頂への最後の登りは、二十数年前の「簡単には山頂を明け渡さない山」という印象を再認識。。。

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(一般登山道の紅葉だって素敵でしたヨ♪)

 それでもこの登りの途中で休み休み仰ぎ見た紅葉は、後で振り返ってみても一番素敵な輝きをしていたように思います。「ああ、いい山だ、なんで今までほっぽらかしていたんだろう…」と思いながら山頂へ。時刻は11時半前でしたが、それほど人も多くなく、富士山展望地点から少し離れた南面の日向に座って大休止としました。

 倉岳山山頂は秀麗富嶽十二景の九番山頂で、山頂にもその標識と、倉岳山山頂からの富士山の写真が掲示されていますが、だいぶ木が育ってきたためでしょう、ちょっと見えにくくなっています。この日は雲に取り巻かれてはいましたが、富士山は写真に収められるレベルで、最高にアップにした写真がこれ。

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(久しぶりに冠雪した富士山を山から眺めました…)

 

 ただ、この木が邪魔だから切ってどかせ、という気にはなりません。これまで、富士山展望のため切り倒された例をいくつもみてきましたが、個人的には、切ってくれてありがとう、という気持ちになる例はほとんどありませんでした。

 さて、昼食を終えたら、登りと違って、力任せというわけにはいかない尾根下りです。地形図と松浦本のコピーで要所を確認したら、忘れ物落とし物がないか確認後、出発です。

 北の尾根と思われる方向に向かうと、いきなり尾根のどまんなかに「この先行き止まり」の立て札があります。これで、北に向かう尾根に入るわけですが、今度はすぐに、「梁川駅方面→」と右方向の尾根を指した「大月市消防本部」の名入の指導標(?)が、あります。これは最近のエアリア(山と高原地図)にも赤破線が入った北東尾根への誘導と思われます。行き止まりの立て札の向こうにこれがあるのはいかがなものかとは思いますが…まぁエアリアに赤い破線が入ってしまった以上、間違って北尾根や北西尾根に入り込まないようにしたいのかもしれません。

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(むうぅ…この先にも標識はあるのでせうか?)

 ただ、ここは、北東尾根と北及び北西尾根との分岐点でもあるわけで、私にとっては目印になる場所の標識という受け取り方で、コンパスで北西方向(左)に伸びる尾根を捉えます。

北西尾根に乗ると、頻繁に赤と黄色のテープが交互に巻かれたマーキングが目印になり、結果的に最後の着地地点(小篠貯水池脇)でもこのマーキングを目にしました。だた、この時点ではこのマーキングがこの先ずっと続くとはわかっていませんでしたので、真面目に地形図とコンパスでRFしていきます。

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 北西尾根と北尾根の分岐点には大きな樅の木があるということでしたが、これがモミということは外見からではわかりにくいように思えます。自分が知っているモミの木はしっかり手入れがされた若木ばかりだったということでしょうか。巨大な老古木(樹種不明)といった感じに私の目には映りました。

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(もみの木の判別に自信をなくしました…)

 松浦本に拠れば、尾根筋からいったん左に外れると、湧き水がたまっている「へそ水」なる場所があるということでしたが、えぐれたような陥没地が見つかったものの、水のようなものは見当たらず、はたしてあれだったのかどうか…。

 ともかく、すぐあとに「境界見出票 山梨県」の赤い標識を見たあとは、美しい雑木の尾根がしばらく続き、頬が緩みます。ただ、紅葉はいまひとつ、というか、北面のせいでしょうか、はっとするような色づきは見られず、かつ、すでに落葉しているものや、緑色からやや変色しかけているもの(笑)がほとんど。せっかくの美林がこの時期この様子なのが少々残念でした。

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(美林の尾根はとても素敵なプロムナードでしたが…)

 地形図で見ても、700m付近で方角を変えて北に伸びる尾根を捉えるのは難しそうですが、実際、そこは地形図通りかなりの急斜面でズルズルの落ち葉の斜面を降りていかなければならず、マーキングも肝心のこの場所では見つけにくく、644らしき(想像していた以上に高く見えた)尾根の盛り上がりに向けて歩を勧めていくと明瞭な尾根道にたどり着き、登り返して644の少ピークに立ちます。

 644のすぐ先でまた尾根の分岐があるわけですが、倉岳山の山頂から小一時間経過していたことももあり、地形図で見ても、だいたいこの辺が北西尾根の中間地点で、ここまでほぼ間違いなく来られたということで小休止。テルモスのお茶とボンタンアメで一息つきます。

  644から雑木の尾根道を進むとすぐに恩賜標石二九八があり、ここがまた尾根の分岐になっています。『静かなる尾根歩き』ではここから北の尾根を選んでいますが、私は『バリエーションルートを楽しむ』記載通り、北西に伸びる尾根に進むことにしました。

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(644の先でも続く美林の紅葉)

 雑木の美林はこの先も続いてくれて、気を良くしていたのですが、550の平頂の先で、今回もやっちゃいました。。。ここで北に伸びる支尾根に入らないように北西へ北西へと進んだつもりだったのですが、このあたりから現れる植林を嫌うあまり(?)やや西側に逸れてしまったのです。

 足裏の感覚がやけにゆるいのと右手に見えたやや高い地形部分に気づいて、登り返して戻ろうかとも考えたのですが、幸いトラバースできそうな傾斜角だったので、植林の中をトラバースして尾根に復帰、例の赤と黄色のマーキングも現れ、尾根の方角もこのあたりから北寄りになることをしっかり再確認しながら、高畑山の北尾根らしきものも見上げながら、その先の尾根歩きを楽しみました。

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(高畑山北尾根?)

 

 なおも続く雑木の尾根は美しく、最後の方になっても所々できれいに色づいた様子を目にすることができました。しかしそれもようやく途切れてくれば、左手に降りるしかない、という地点につきあたって、あやふやな作業道とも言えないような踏み跡を降り、きれいに小篠の貯水池の工事現場「脇」に着地できました(文中にも触れたように赤と黄色のマーキングがありました)。最後の最後は工事中の真新しいコンクリート道に降りて汚さないよう「土道を戻るように進む」ことがポイントです。

 穴路峠からの登山道(というか車道部分)を進んで最後のゲートが実はこの日の最難関(笑)でした。ゲートはくぐり抜けることができないようになっているうえ、開閉できないよう厳重に鍵がかけられていて、左手部分のみ、登山者一人が通れる幅の扉があるわけですが、駅から来る人にはわかっても、降りてきた登山者には見えない「駅側」に閂がかけられていて、峠側からは押しても引いてもびくともしません。困り果てて、仕方なくゲートを乗り越えて向こう側に降りて、こういうことだったんだと理解。

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(峠側)

 

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(駅側)

 難しいのはバリハイルートだけじゃないんだな、とつぶやきながら、山之神神社で無事下山の御礼をして、あとは大月市の指導標に従って鳥沢駅へ。これが結構長く感じて、駅からハイキングの山だけど、駅から登山口まで結構あるんだなぁ…と思いながら甲州街道に出て歩いていくと、宿場町時代の建物の脇に「←高畑山・倉岳山」の私製の指導標を見つけて、二十六年前もあったけなぁ?などと思いながら、鳥沢駅へ。

 駅前には近江屋という酒屋さんがあって、笹一の銘柄名も掲げているのですが、残念ながら今日は日曜で休業のよう。駅の時刻表を見にいくと14時台というのに幸い10分も待たずに高尾行きが来るとわかり、トイレを済ませたらすぐにプラットホームへ。下山通知を出し、山旅ロガーの測定をオフにしたらまもなく高尾行きが入線してきて、空いた車内でゆっくりすわって、ザックに入れてあった日本酒のワンパックとミックスナッツでいい気分に。

 高尾発の特別快速はグリーン車連結の12両。グリーン車は3月までは無料ということでしたが、短区間しか乗らない田舎者が都心まで帰る乗客の席を奪ってまで座りたいとは思えず、空いた先頭付近の車両へ。

 この時期にしては明るいうちに帰れたうえ、給料日前日ということもあり、帰宅してからスーパーへ行き、大根だけ買って、冷蔵庫のサンマをおかずに朝ごはん同様、夕飯も自炊してから就寝したのでした。

 

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